
私でしたが、将来への不安も募り勧められるままに入信しました。幸いにして素晴らしい仏教哲学に巡り会うことができて感謝しております。それ以来私も強くなり、以前の私とは違い何事にも前向きに考えられるようになりました。
子供の治療も長引くのに堪えかねて、「人間には誰もが自然治癒力が備わっているのだから」と、医師が首をかしげるなか、私も不安はありましたが病院と決別して、子供たちをギブスから解放してやりました。子供たちは魚が水を得たように、自由に走り廻ることができたのです。その後も異常がなくて、本当に家族ともども喜び合うことができました。
このような生活状態のなかで、恭正には何一つ家庭で教育をしてやることができないままに、学齢期を迎えるころになりました。当時、私どもの住んでいる町には、ろう学校がありませんでした。それでまず、ろう学校があって主人が転勤できる小樽へ引越しました。
小樽ろう学校には幼稚部なかったので、学齢期を待って三十四年四月、「耳が聞こえていたら…」と悲しい思いでろう学校の入学式にいきました。
ところが私が想像していたのとは大違い。とても明るい雰囲気で、先輩のお兄さんお姉さんが礼儀正しく挨拶をしてくださったり、先生や寮母先生の温かな心に接しすっかり心が和みました。
恭正を寄宿舎に預けたが、受持ちの先生から、「できるだけ学校にきて、口話法の勉強を子供と一緒に学び、子供が家に帰っても絶対に手まねはしないように」と厳しく言われました。
私もできる限り二人の子供を連れて通いました。一学期の終わりには、一言も話のできなか
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